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Q6:ウルトラマンのデザインについて
 格好のいい美しい宇宙人という依頼を受けてデザインしたもの。広隆寺の弥勒菩薩像にも通じるギリシャのアルカイックスマイルといわれる微笑を表現している。本当に強い者は戦う時にかすかに笑うだろうという思いに起因しており、鼻は宇宙人ぽくするために取り除き、そのため目は存在感をつけるために怒りを表し大きくした。身体は宇宙っぽさを出すために銀を基調にして、火星の模様をイメージした赤いラインをそこにつけている。
Q7:今のウルトラマンや怪獣について

 氏はウルトラセブンを最後に、それ以降はウルトラシリーズのデザインに関わっていない。後期に出てくる角をつけたウルトラの父や女性化しているウルトラの母などに関してはあまり良く思っていなかったようだ。デザインは単純である方が難しいが優れているというのが持論であり、怪獣も含め、いろいろとくっつけて誤魔化しているものが最近は多く、それはデザインに困っているからだと何度か指摘している。

作品
Q8:日本のモンスターとは
 80年代中盤から日本のモンスターに興味を持ち始め、鬼、竜、天狗、四霊獣、四神獣などを描きはじめる。90年には鬼で有名な大江山に酒呑童子、茨木童子、星熊童子の3体をキャラクターデザインからおこしたモニュメントを建てる。竜や鬼はすべてが妖怪ではなく、竜は神の怪獣であり、鬼も神道系の鬼は神様だという。怪獣の妖怪などとの違いに対するこだわりは晩年までずっと持ちつづけていた。
Q9:彫刻家/芸術家として
 氏は映画美術を生活の為に始めたもので、そのためにやり続けたものとしていた。ウルトラマンで有名になったことで彫刻家の仲間からは距離を置かれたと感じ、自分でもすばらしい彫刻を作らなくては駄目だと公共のメディアでも言いつづけていた。しかし代表作となったウルトラマンや怪獣達が売れたことについては喜びを感じており、これが芸術なのかも知れないという思いも持ちながら、自分の怪獣のデザインが美術館に展示されることに疑問を感じるなど複雑な思いは最後まで感じていた。客観的に見ると商業的であろうとなかろうと氏の作品は芸術品以外のなにものでもないのだが、そういった試行錯誤の姿勢を持ち続けることが氏の作品の原動力になっていたのかもしれない。

成田亨
1929(昭和4)年に神戸で生まれる
1954(昭和29)年、東宝映画「ゴジラ」の制作へ参加したのをきっかけに、映画美術の道にすすむ。
代表作として「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」などがある。
2002(平成14)年脳梗塞にて亡くなる。

この記事により氏に興味を持った読者はYamakenさんが制作、運営管理されているサイトでかなり詳しく掘り下げているので一度見てみよう。
そしてフィルムアート社のサイトでは今回参考にさせて頂いた書籍を出版販売しているのでこれも要チェックだ。
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