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shimada ritsuko title
  タレントと呼ばれる職業がある。海外ではあまり見ない職業であり、日本特有のものだ。実際その定義は難しく、なんとなくメディアにいる人というイメージしか湧かない場合が多いが、現実には特に何もできないのでメディアでいろいろとやっている人と、それとは逆にクロスジャンルで活動しながらそれぞれのジャンルで実際活躍しており、複数のメディアを使って自分自身を表現している人達に分けられるだろう。前者は回転の速い芸能界ではあっという間に消え去るが、後者は別のジャンルでその人を見るたびに「あっ、こんな一面もあったんだ」と我々をうならせることがしばしばある。

今回は「恋のから騒ぎ」のレギュラー出演をきっかけにタレント活動をスタートし、エッセイ、ラジオのパーソナリティなどまさにマルチで活躍しながら、自閉症の弟とそのたった一人の姉である自分との関係を書き下ろした「−自閉症の弟から教えられたこと−私はもう逃げない」(講談社)がNHKでドラマ化、そしてそのドラマが平成14年度文化庁芸術祭では優秀賞を受賞するまでに至ったという、まさに各ジャンルで活躍する島田律子さんに、複数のメディアで表現することについて伺ってみた。

Q1.ご自身にとって、表現とはどんなものでしょう。
パーソナリティ、女優、エッセイスト、そして日本酒造組合中央会認定の日本酒スタイリストなど現在多岐に渡ってのご活躍ですが、自分の思いやイメージを表現する方法としてはそれぞれどんな違いがありますか。
私にもたれる印象は大抵の場合「恋のから騒ぎ」からが多いみたいで、大雑把なイメージのようなんですけども、そのせいでラジオのDJや日本酒の講演なんかをしていると「ああ、こんな一面もあったんだ」と言われることがよくあります。
それで逆にいろいろなジャンルで活動できることによってそれぞれのジャンルが表すイメージを補い合うとか、引き立てることになっているので、そういった意味で違いを出して使い分けています。


Q2.子供のころはどのような将来を想像していましたか。
かなり漠然と普通にお嫁さんになってお母さんになるんだろーな、と思っていました。
自分の母がそうだったからかも知れないけれど、世代的にも自分の世代はバブルの頃に学生から社会人になるくらいの時期だったので、みんなOLになった時でもお嫁さん前の腰掛けくらいにしか考えていなかったような感じでしたね。実際私も20歳くらいの時でもまだそう思っていました。普通にこのままOLになってそこで誰かを見つけて結婚とかするんだろうなーって。今のような状況になるとは考えたこともなかったですね。


Q3.OLから今の仕事に移ったきっかけについて教えてください。
はじめは国際線のスチュワーデスをやっていたんだけれど、体力的に内蔵からなにからぼろぼろになっちゃってやめたんですね。そこではっと気づいたんだけどスチュワーデスは本当につぶしのきかない職業で、当時でいうとワープロもできない、事務職もしたことがない自分がいて就職もできずに落ち込んでいたんですよ。
そうしたら友人が、こんな番組(NTV系「恋のから騒ぎ」)があるから応募してみたら?って言ってくれて、本当にまぁいっかという程度で応募したら通ってしまったんですね。それでも始めは一度お断りもして、でも1,2回なら親にもばれないし、と思い出演したら続いてしまった感じですね。
実際始めは家族にも秘密にしていたんだけど、父の同僚の「あれ、島田さんの娘さんじゃないの?」っていうところからあっという間にばれて、すごく怒られましたね。

Q4.この仕事をこのまま続けていこうと思わせるものはなんですか?
「恋のから騒ぎ」に出ている時に雑誌Hanakoから連載をやってみないかというお話を頂いて、そんな感じで他のお仕事も入り続けてずっとやってきていたんだけれど、私は別に一芸に秀でている訳でもないし、この業界に入ってからしばらくは、自分ってなんなんだろう、もうやめようかな、ともよく思っていました。
でも弟のことを書いた本を出したあたりから何かが吹っ切れて、自分の思いを表現したり伝えたりすることに対して顔を上げられるようになったというか、特にこうじゃなきゃダメっていうこだわりもなくなって、なんでも色々とやってみよう!っていう気になりましたね。それでやらせてもらえる限りは続けていこう、と。

Q5.今、自分の名前で活動するようになって、自分の中や周りの扱いなどで変わったことはありますか
スチュワーデスになったのも、テレビに出るようになったのも、もともと私はいろんなものから逃げてその結果そうなったという性格だったんですね。よくそんなイメージじゃないって言われるんですけど、まわりの人が「私できます!」って手を挙げるときに「いや、私はちょっと・・」って言ってしまう感じだったんです。
それが一番その逆をやらなければいけない業界に入ってきてしまって、自分の名前でやるということで、ある意味追い詰められたので逆に吹っ切れるきっかけが持てて、最近は少し自信が持てる、というか逃げることがあまりなくなりました。まわりの私に対する態度は・・・うーん、変わらないですね、全然。

Q6.エッセイストとしては、現在女性誌などの連載以外に本を2冊出版されており、一つはNHKでドラマにもなりましたが、これらはどういった経緯で執筆するに至ったのですが。
はじめの本「ひみつのスチュワーデス」はある日書いて欲しいという依頼がきて、私自身本がどういう風にできるのかが見てみたいし、スチュワーデスのことだったら、純粋に知っていることを書けばいいのでできるかな?という非常に軽い気持ちで受けました。

次の「−自閉症の弟から教えられたこと−私はもう逃げない」は、はじめ出版する気はまったくなくて自分を見つめなおすために、ある日書き始めたものだったんです。
いろんなものから逃げてしまったり、ものごとに自信がもてなかったり、何より親との対話が弟の事以外では殆どなかったので、一度自分を見つめ直してみようと思って書きました。
book1 book2
それで書いているうちに、自分が5歳くらいの頃に弟のことで祖母に「おまえはもうお嫁にい けない」って言れたことや、幼稚園に通いながら「他の子たちはいいな」と思っていたことなんかを思いだして、しかもそれが今自分が弱気になっている原因だったことが分かってきたりして、「もしかして障害者を姉弟にもつ他の人も同じ思いを持っているのかも知れない!」と思い始めて、3年かけて書き終わった時に出版社に持ち込んで、出版するに至りました。なのでこれもやっぱり自然の流れですね。
●次回(1月10日更新)では執筆時の苦労やマルチジャンルで活躍する楽しさや悩み、そして今後について伺います。お楽しみに!